家売ってみる?

結婚してからマイホームの夢を持っていた私達は2、3年毎週末は住宅展示会をめぐり、イメージを膨らませていた。そして結婚11年目にして念願のマイホームを手に入れた。

それは自分で言うのも何だが、リゾートの別荘の様な夢のこだわりにこだわった家だ。

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しかしである、夫は会社を辞めたしローンはまだ残っている。退職金で何とかなりそうだが、今後の生活を考えるとどうするべ?

夫は家にはかなり愛着があり手離す気はないようだが、私はちょっと違った。

「一回、いくらで売れるか調べてみる?それからどうするか考えよう!」

そう、提案してみた。

知り合いの紹介で何名かの不動産関係の方に相談してみたら、我々の想像していたより、我が家の土地、家の価値が高く、15何前の新築価格とほぼ同じ価格で売れる事が判明。現在の中古住宅市場はかなり厳しいが、不動産屋が言うには我々は本当にラッキーだそう⁉️

本当かな?と思いながらも、ここからは、夫を説得

「これからは風の時代だよ!家がある事でそれに縛られる事がある。本当に海外でもいいし、やりたい事、やりたい場所を探そう!」と笑 謎の少しスピった説得ではあったが、夫は言った、「自由になろう」と。

それから不動産さんに査定してもらった3週間後には買手が決まり、その1ヶ月後には賃貸のアパートへ引っ越しをした。この振り切り感、スピード感は盛った話ではない笑

夫、会社辞めるってよ

「子供達が手を離れたらさ、家売って海外に移住しようよー」と私は昔から夫と晩酌をしながら話をしていた。あくまでも酒の席での夢話である。

夫は超真面目な会社人間、何よりも仕事を優先する人だった。が、家族の為に頑張っている事は私も子供達も重々感じていたし、その頑張りを和ませようと、夢と冗談で海外に移住しようなんて言ったのだ。

下の子が高校3年生になった頃、夫は勤めてる会社に対して未来を描く事が出来なくなっていて、その様子を見て私は励ますつもりで「いつだって、辞めてさ、何か面白い事しようよ」と声をかけた。するとすぐに「辞めるわ」と言ったのである。

そうは言っても管理職だし、簡単に決断出来ないよなぁと思っていたが、彼はあっという間に辞表を出し30年勤めた会社を辞めた。

辞めたはいいのだが、何をする?何も決まってない。が、夢だけはある、海外で働いてみたいな。どうやって?英語は?家はどーする?課題は山積みだが、何だかワクワクしてきたぞ。

大丈夫、大丈夫、何とかなる!

これもまた続く…

 

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滋賀へ行く

メンタルダウンの私はとりあえず、母に会いに翌日飛ぶ飛行機を取った。こう言う時のマイルだよね、地道に貯めてて良かったわ

10年程前までは近くに住んでいた母だが色々あり今は他県に住んでいる、昔は一番の理解者であり親友の様な母であったが、これという大きな理由も無く私の心は母から離れていった。それを母も感じていたはずで悲しく思っていたはずだ。

ただやはり、今回落ち込んだ時に思い出すのは父と母で、すでに亡くなった父に母を大事にしなさいと叱られている様な感覚になったのである。

関空から京都とそして母のいる滋賀へ半日近くかけて行くと母は友人達と宴会をしてて私はそこに合流したくさん飲んだ🍺

相変わらずだ、母はいつも人の中心で豪快に笑ってる。母は自己肯定感超高めでわがままで甘えん坊だが、ずっとブレない何かがある。私はおそらくその性格に疲れたのかもしれないが、他県で一人頑張ってる母を見て、私はこの母から生まれてきたのだよなぁと、諦めというか、受け止める事が出来た。

気持ちがスーッと軽くなるのだった。

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JAPNESE PRETYY WOMON2〜無知な女〜

前回の妹のお話の続き

離婚後の妹は実に晴れやかであった。まだ高校生の一人息子をしっかりと育てる為に精力的に仕事へ取り組んでいた。

その仕事の延長で地域の商工会の役員などを務め、ある日商工会のイベントに米国大使館の上層部がゲストで来た時の事、「米国の外交官って何や?」ぐらいの知識の妹はあろう事か、エレベーターで隣合わせた一人の米国外交官に「商工会のメンバーで二次会行きますがどーですかー」と日本語で声をかけたのだという、その時周りは凍りついたそうだが、本人は披露宴で会った久しぶりの同級生の様に誘ったのだ。

その外交官は日本語旦那なアメリカ人、彼はその時、生まれて初めて何の遠慮もなく気軽に声をかけてくるいわゆる無礼な女に出会ったのである。そして同時に妹に恋心を持ったのであった…

何も知らない、無知から生まれた恋である❤️

続きはまた!

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一族の切込隊長

2番目、3番目の子供は海外の大学に進学している。

2番目の娘の性格を表すと「泣きながら目をつぶってぐるぐるパンチをしながら前に進んで行く」と言ったところだろうか、人一倍臆病なのにエイヤ!と前に進んで行くのだ。

彼女は高校の時にヨーロッパへ留学したのだが、留学1日目で泣きながら「私は本当は留学したくなかったのかもしれない」と電話をよこし速攻のホームシックに日本にいる家族も心配で泣かせた。

その留学は本当に大変だったが、かけがえのない出会いなどあり、私も日本にいながら国際交流ができた。

現在、家族の3人と妹夫婦は海外在住、側から見れば国際的な家族なのかもしれないが、本当につい数年前は考えられない事であった、我が一族がこのようなマインドになったのは間違いなくこの娘のエイヤ!の留学である。

彼女の話も妹に続き、連載になりますなw

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更年期症状か?~受診編~

婦人科の予約日がやってきた。これでどうにか解決策が見つかるだろう…

血液検査、内診などをしてドクターとのお話

「更年期の症状ですね、筋腫がある為ホルモン療法はお勧めしません、精神的にきつければ安定剤を服用するのも悪いことではないです。どうしますか?」

安定剤を飲む事には抵抗があると伝えると漢方薬で様子を見ましょうという事になった。

ガッカリというか、えらく拍子抜けしてしまった。

帰宅すると娘が心配して連絡をしてきた「お母さん、抗う事をやめてそのままを受け入れたらいいと思うよ、眠れないなら眠くなるまで起きてたらいい、寂しいなら寂しいと家族にいえばいい、今まで自分軸ではなく家族の事を優先にしてきたから、どうしていいのか分からないだけだと思う。ゆっくり、自分の思うままに動いていったらいい」

そうか、解決などないのだ、あきらめて騙し騙しゆったりと構えるしかないという事か~、初めてのメンタル不調に慌てていただけなんだ…そうかぁそうかぁ…

ん?思うのまま動いていい?ホント?よし、明日母が住む滋賀に行こう!こういう時の為のマイルだ航空チケット取るぞ。

 

JAPANESE PRETTY WOMON 1 ~奇跡の女~

私は三姉妹の長女、姉妹の仲は良い、特にすぐ下の妹は一緒に仕事をしていたこともあり、運命共同体の様な存在だ。

私と違い天真爛漫パワフルな妹、どこにいてもスポットライトが当たっているような彼女は宝塚の男役の様な見た目でとにかくモテる、が、しかし驚くほど男運が無い、というか見る目がない...

押しに弱く、自分のギャグを笑ってくれるストーカーの様な男と結婚し、泥にまみれ借金にまみれ3年前に離婚した。(思い出すのも嫌なので簡単な表現にしてみた^^;)

そんな彼女は今、マニラの高級マンションに住んでいる、この三年間彼女になにがあったのかをどこかに残しておかなければもったいないと思い書いてみる事にした。

そしてこの話は一つの記事では書ききれない。

連載になるな...今日はここまで、ゆっくり書こう